昭和41年06月19日 朝の御理解



 有難うて有難うてならんけれども、有難くない様な風をして折れれる位なおかげを頂きたい。私はここんところをですね、願うておいでられなきゃいけんのです。有難うて有難うてならんのだけれども、まぁ言うならば、いつもかつもにこにこしておる、人が馬鹿じゃなかろうかと思うちゃならんから、にこにこしござったばってん辛抱しとると、ね。おかげを頂きますと、いよいよ笑いが止まらんようなと、言うこう言う様に言いますよが、信心さして頂く者は、このことだけをです、願い続けなければいかんです。
 このことを繰り返し繰り返し、もう千遍も万遍もここんところを願い続けにゃいかんです、ね。有難うして有難うしてこたん、ね、あんまり有り難か有り難かと言いよると人が馬鹿と言うたりせんじゃろうか、少し遠慮、遠慮しなさいと、抑え溶けれる位な有り難い私に、ならせて頂くことを願わにゃいかんです。それをもう繰り返し繰り返し願わにゃいかんです。千遍も万遍もここんとこを願わにゃいかんです。本当に皆さんここんところを本気で願っておる人が少ないです、ね。
 今月今日で一心に頼め、おかげは和賀心にありと。もう今月今日で一心に頼むこと。ここ以外にないです、5遍10遍くらい、そんなこっちゃいかんです、時々ぐらいなことじゃいかんです、ね。ただ、どうぞあぁなりますように、こうなりますようには、心の中に繰り返し繰り返し願うけれど、また本気で願うけれども、ね、どうぞ和賀心にならしてもらう喜び、和らぎ賀ぶ心にならして頂くことをです、本気で願わして頂く人が少ないです。もうここんところを繰り返し繰り返し願うたらいいのです。
 千遍も万遍も。ね、そこんところを、私は願い続ければです、確かに有り難くなれれるです。有難うして有難うして笑いが止まらん、あんまりありがたかありがたかと言うとほんなこつじゃろうかと、と思うごととられちゃいかん。あんまりニコニコしとると人が馬鹿じゃなかろうかと思うちゃならんから、ちった腹かいたふりして有難か、なかごとふりしておれんくらいに、有り難く成らして頂けれるおかげを頂きたいという事をです、もう願いにせにゃいかんです。
 一日の内どの位、ここのところを願うていきよるでしょうか。五編十篇じゃいかんです。もうずっとこのことばっかり願うとけばいいです。ね、淋しい思いもすることもありゃ、腹の立つような思いをすることもある。ね、心をいらいらしてくることもある。ね、情けない思いをすることもある。けれどもそのことよりもです、願い続けることは私の心の中に有難い心を頂かせて下さい、私の心の中にい心和らぎ喜ぶ心を頂かせて下さい、ということをです、本気で願わにゃいかんです。
 問題はそこんところを本気で願うことです、信心とは。信心とはもう有り難う成らして頂く稽古、一言にして言えばそう言えると思うんですけれど、そのことだけを願えばいいんです。有り難く頂けないような問題があっても、そのことをどうぞ有り難く頂かせて下さい、有り難う頂かせて下さい、有り難うならせて下さいと、願うこと以外にないです。皆さんそのことをですね、今日はもうほんとにもう、願い続けたという、おかげを頂かれたらいいですね。
 そしてから信心はここ以外になかごとあるです。あなた方が願いとしておられる、願いと言った様なものは、もう枝の葉でもう問題じゃないです。それを一日間願うたばってんから、二日間願い続けたけれどもじゃなくてです、もう一生このことを願い続けることです。そこんところに、神様が発動ましますような、有難うなるという、例えば心の中に発動機があると致しましょうか、もう発動機から空回りばっかりしておる。だからそれが、それがかかるまで、ね。
 だっだっだっだっだと言いますようにですね、もうずうっと掛り通しに掛っておる有り難かが、ね。ここにお参りしに来るとも、有り難くならせて頂くために、お参りして来るとと。本当にそげん有り難かっですかっち。人から疑われるくらいに、ね、私は修行中の時分に、久保山先生がそんなことを尋ねられたことがあるんです。ほんなこて、あなた大坪さん時代ですから、大坪さん、あなたは本当に、その有り難して堪えんごたる風に言いよんなさるが。
 今の例えば難儀な中に、今の苦しい中に、ほんなこってその有り難かってすかっち、尋ねられたことがございます。もう理屈は抜き理屈はないです、ね。どうぞ有難うならして下さい、今月今日で一心に頼めと仰るから、今月今日で一心に頼むことはです、有難うならして下さい、本当に有難うならして下さい、どうぞ有難うならして下さい。どうぞ商売が繁盛いたしますようにと、ここにおられる時にはそれよりか、先にどうぞ有難うならして下さいと、腹の立つ時には、ね。
 もうその事を一生懸命有難うならして下さい、有難うならして下さいと言うとです、それが薄らいで来るです、腹の立つとが、ね。そして中々そう言うならば、まぁ2年3年でそげん有難くも成れんかも知れんけれどもです、このことを願い続けることです。自分の心の中にその発動機を掛るまで、もうそれ以外にはないですから、ね、どうぞ神様有難うならせて下さいて。今私はそれとは反対の心が心の中でモヤモヤしよります。どうぞ有難う成らせて下さい、もうこの事を願い続ける事です千遍も万遍も、ね。
 そして成程信心とはここを願うことだと、自分で翻然として分からして貰うということ、ね。どのようなことの中にあっても、有難うならして下さいと、そして有り難いとがです、ね、溢れる様になってくる、ね。それはもう抑えとかんならんごたるです。有難うならせて頂けれる、もう私は時々そんなことがある。もう有難うして有難うして、目をつぶったら泣かにゃおられんごと有難うなってくる。だからそげん時には、ほけぇんごとして他のことを考えよる。もうちょいと深呼吸でもしてから。
 その有り難かつばその、紛らかさなおられんごとある、ね。それをお互いが反対に、ね、腹の立つとやら、情けないとやらば紛らかすために、と言う様な事ではやはりいかんです。ね。有り難いとをですね、有り難なかふうに、風される位に有難うならせて頂くことを願い続けにゃいかんです、ね。それをよく昔のご信者方はですね、金光様、金光様を願い続けたという、唱え続けたとこう言う、ね。だからその金光様、金光様が口癖になっちゃいかんから。
 私共の心の中に心配になったり腹の立ったり、情けのうなったした時にです、本気でどうぞ私の心の中に有難い心を頂かして下さい。和賀心にならせて下さい、もう今月今日で願い続けるその事を。特にそれとは反対の心が、心の中におく時にはいよいよ願わにゃならん時。そういう時にですおかげば頂いてから、これが晴れると言った様な事じゃだめです。それは偶々た次にやはりその苦しい思いというものは、せなきゃならん事は必ずあるのですから、ね。どうでも一つ難うならして下さい、それをですね。
 皆さんもうなおざりにしとるです、もう何遍かしか願いよらんです。そこんところをです、私共は何か本当に難儀な時でもそれを願う、あぁいう気持ちでです私の心の中に、本気で有難うならせて頂きたいという願い、これなら神様が一番喜んで下さる事でもあるのですから、この事を願い続けると、これ以外にはないと思い込ませて頂いて、願い続ける時です、神様はおかげ下さらん筈はありません。神様が発動ましますというなら、そう言う様な風に発動まします。私の心の中に。それこそ馬鹿じゃなかろうか。
 ちゅうごとにこにこせにゃおられん。それがちっとまぁはだけた風にでもしとる位、ぐらいにですね心の中ではもう有難しゅうて堪えん。にこにこせにゃおられん。もうこれば願い続けにゃいかんです、ね。私はこの事を一つどうでも皆さん、実行なさらなきゃいかんと毎日毎日。皆さんそう言う風に願い続けられた事がないでしょうが。その事を願い続け思い続け、そして頂く時にです、本当に嘘のように自分の心の中に有り難い心が。これはほんなこてこれは。ほんなこてそげん有り難かっじゃろうかと。
 そんな風に考える時あります。あらこれは馬鹿になっていきよるとじゃなかろうかっち。このまま馬鹿になるとじゃなかじゃろうかと。と言う位にです一つ有難うならせて頂く、ね。不思議にその有難うならせて下さい、有難うならせて下さいという願いの中にはですね、(?)出されません。(?)思われなくなってくるです。我情我欲がだんだん減っていくです。ですから神様がその代わりに有り難いものを心の中に送って下さるのです。その有り難いというもので頂くおかげでなきゃほんなもんじゃないです。
   どうぞ。